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転がり続けるマトリョーシカ“ninaの旅ブログ”

3ヶ月に一度は日本に帰りたいパッカー。じわじわ世界一周する気。インドとロシアがお気に入りの三十路半ばの♀。

ポートレート考(トレチャコフ美術館)


毎日毎日、ロシア人の顔を見ていて、


久々に自分の顔を鏡でみたら、


すっごく平たい。



事にびっくりしました。(O_O)


旅の間は仕事もないし、お化粧しないので、朝顔洗ったら拭くだけで、

ロクに鏡も見てなかったみたいです。
(誰かと会うときは身だしなみとしてお化粧します。)

なので久々に自分と目があったら

はっとするほど

薄い顔だなと感じました。


アジア人て、やはり凸凹が浅いですね!!

(わたしは東アジア人の中ではそんなに薄い顔ではないのですが…)

また、ロシアによくいるスラブ顏、目が青くて金髪の人も、

バリバリの南欧ラテン系と比べたら、わりとまろやかなタヌキ顔だなぁと思ってたのですが…
やはりヨーロッパです。

鼻が高いし目の周りも彫りが深い。



ロシア近代美術の巨匠セーロフの『桃を持つ少女』

↑ロシア人の顔。

モスクワの有名な美術館、トレチャコフ美術館新館へ行ってきました。

夕方から行ったのに、
列ができていて

あら?っと思ったら、

ロシア近代美術の巨匠セーロフ展


を大々的に開催中でした。
セーロフは普段でもトレチャコフ美術館の目玉アーチストなので、たまたまとはいえ、まとめて作品を拝見できるのはラッキーです。

ポートレート(肖像画)が多く、老若男女様々な人物が観れました。

ロシア画家にしては明るい雰囲気の絵が多く品良く爽やかで、

たくさん地元の人たちが来ているのもわかります。

万人受けする感じ。

でも、描かれている人物がそのまま、

その絵を覗き込んでいるロシア人とだぶってみえるので

わたしはセーロフを見ながらも、絵を見てるのか、

絵から出てきたような、生きてるロシア人を見てるのか、わかんなくなるような感覚がありました。


以前の日記でも書いたように、

ロシアって100年前200年前から、

全然変わってないような何かを感じるです。

今回のトレチャコフ新館では近代美術が集められてますが、

もう一つのトレチャコフ美術館『本館』の方でみた、古典美術の

貴族たちのポートレートなんかをみても

『こういう美人、今でもそのまんまその辺のアルバート通りとかを歩いてるよなぁ。ハイヒールブーツ履いて…』


って感じです(^^;;。

絵を見てるのか、生のロシア人みてるのかわかんなくなる。


でもそれほど、ロシアの肖像画には、人柄や雰囲気までもしっかりと描きこまれてるという事なのかもしれませんね。

それをみつめるロシア人のアイデンティティー。


やたらたくさんの

顔 顔 顔 顔

ポートレートをみたので


ふと、


『わたし、自分のポートレート描いたこと無いな。』

と考えつきました。


美大生の頃に描くチャンスはいくらでもあったはずなのですが、

全然やった記憶が無い。

(自分の脚はモデル代わりによく描いてましたが…)


思えば、わたしが自分自身を『発見』
したのは確か、

24歳のころなので

(それまでどうしてたか)、

それまでわたしにとって、自分という存在は透明なもので、

存在してるという認識が薄かった(ない、と言うか)

客観的に捉えて描く(描ける)ようなものではなかったんですね。
(あるいは強い自我の投影としての自画像も描けない)

今でこそ、旅先で自分の写真も記念に撮りますが、

10代〜24歳くらいまでのわたしの顔が写ってる写真って一枚も持って無いんじゃ無いかな?

学校行事で撮った覚えもないし、
取りたくもなかったし(というか、その意識がない自分が見えて無いから)

卒業アルバムとか興味なさすぎて一度も開いて無いかもしれない。

…実際はそんな事なくて、なんかあるだろうけど認識はそれくらい見えて無いなんだ。

撮り始めたら外国での変身写真も好きだし、なんかこれも普通のやり方や撮り方では強く自己をとらえられないのかもしれない。(お膳立てがいる。外国行ったとかの。)


24歳くらいのときに


あるきっかけでわたしは世界観がガラッと変わる出来事があり、

ようやく、世の中に自分自身がいるという事が解ったのだけれど、


それからは割と普通に自分の事を意識できるようになりました。


だから、今なら自画像描いてみようかな、と思った。

多分、学生の頃は20歳前後だから、まだ自己の発見前夜で(笑)


鏡をみても目にちゃんと自分の顔が見えなかったと思うんだよね。

(絵を描くとは、対象を見る、事だからさ。見えないよね。)

自意識的に自分が嫌いだからとかじゃなくて、

存在自体を認識していなかったと、

今では解る。


そーだ、そーだったのだ!


存在認識してないものは絵に書けないものね。


そういう意味では今ではオトナになったと同時に


フツーになっちゃったな

とも思う(^^;;?


でも仕方ないから、

自画像描いてみようかな。


脚を描くのとは違って、顔を描くというのはやはり、
アイデンティティーを描く事になるわけです。

なかなかただのモノを描くなら、顔でなくていいわけでね。
ゴッホが自画像を描いた理由が、ちょっと解った。わたしが学生の頃は、わざわざ書く意味なんて考えた事も無かった。)


この歳になって、つくづく思うけど


自分の、描けるもの/書けるもの/作れるもの/

しか、自分は作れないんだよね。


帰ったら油絵で、自画像描いてみようかな。

描けるかな?

今なら描けるきがする?

描けるまでねばって頑張ってみようというのが、自分の作るときの方針なんだけど…。

取り敢えず、なんかとっかかりが無いと描けないから、

『紫色の帽子の自画像』にしよう。

紫色の帽子はこの旅行中にかぶってるやつ。

世界のどこでも美術館へ入るとある種の安堵感があります。

そして絵を見ながら、自然と自問自答、思考が広がっていく。

新たな発見というのは、作品の美しさだけでなく、
引き出される自分自身だったりする。

でもそれを引き出すトリガーになるだけの何かが、考えさせる力がある、

それが芸術なんでしょうね。

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